若年者の就職支援相談に関わって5年ほどになる。これまで2000人くらいの相談者に会った。“相談したいこと”として最も多いのは自分の適職は何か?ということである。表現は人それぞれで、『どんな仕事をすればいいかがわからない』『自分に向いている仕事が知りたい』『自分に合った仕事を教えてほしい』『仕事の選び方がわからない』『ずっと続けられる仕事に就きたいがそれが何かわからない』などとなる。自分がどんな仕事にむいているかわからないのでなかなか就職できない状態にある。適職診断を受けたいのですか?と聞いてみるとそうではないことが多い。だいたいの人がどこかで何らかの適職診断なり職業適性検査を受けている。にもかかわらず相談に来るのは、結果をもとに就職活動をしたものの期待したような結果にはならず余計に混乱してしまっているようだ。確かに仕事を決めるのは難しい。特に社会経験の少ない人ほど自分の能力や経験に自信が持てないため、情報をもとにひたすら正解を探し求めたり、自分以外の誰かに正解を期待する傾向が強い。

我々が何か重大な決断をする場合、これまでに体験した成功例や蓄積した知識・情報をもとに決断をするが、まったく経験したことがないことを決断しなければならない場合は直感に頼らざるを得ない。いわゆる『何となくこれがよさそう』という感覚だ。 人間はもともと多様な五感受容器をもっているが、現代の生活ではこのような感覚を意識する機会がほとんどない。原因のひとつに視覚刺激が強いことが挙げられている。現代メディアはテレビやPC、携帯端末などディスプレイからの視覚情報が圧倒的に多い。 森岡博は無痛文明論の中で、二十世紀の資本主義と情報化によって、無痛という新たな文明が生まれたと述べ、『無痛文明は、身体の欲望が生命のよろこびを奪い取っていくという仕組みが社会システムの中に整然と組み込まれ、社会の隅々にまで張り巡らされた文明』と定義している。情報量があまりにも多すぎると人間は身体の負担を軽減させるために五感にフィルターをかけ自分の身体が意識できない状況を生み出すのではないかという仮説を立てている。五感にフィルターをかければ当然その感覚機能は衰えていく。少し前にあった毒入り餃子事件の時にも感じたが、その食べ物が“食べても大丈夫かどうか?”は、見た目や臭い、少しだけ食べてみて何かおかしくないか?で判断したものだが、今は明らかに食べれる状態とわかっていてもメーカーが表示してある品質保持期限を優先してしまう。自分の感覚よりも誰かが決めた情報をもとにしか物事を決められなくなっている。

自分に合った仕事を決めるのは確かに難しいことだし勇気も必要だが、だからこそ自分の力や感覚を信じて選んでほしい。 クンクンと臭いを嗅いで、自分に合った仕事なのか自分が働きやすい会社なのかを判断できればいいのだが。